1989年1月頃に鍛冶屋駅で
撮ったキハ20 520の車内です。
キハ20の最終増備車で1965年帝国車両製です。当時、姫路運転区には518~ラストナンバーの522まで5両が配置されていましたが旧加古川気動車区に常駐しており加古川線・鍛冶屋線のみで運用されていました。
画像をスキャンしてみると最終増備車という事もあり、車内も綺麗だなぁ~と思ったら
製造から23年ほどしか経っておらず現存するキハ40系などに比べると若いんですよね~![]()
当時、キハ20系の廃車は進行中でどんどん数を減らしていましたが経年20~25年程度廃車されるのが一般的だったので現在残っている国鉄型の寿命が当時から比べると異常に長いと言えるのかも知れませんね?
国鉄の通勤・近郊形などの一般型車両では薄緑の化粧版と青いモケットが電車、気動車を問わず標準として採用されていましたがこの組み合わせで現在も残っている車両は希少でしょうね。![]()
キハ20は水島臨海鉄道などでも現役で活躍していますが冷房化やトイレの撤去など改造箇所も多いですがそれでもこの画像の雰囲気とは大きく変化していないのは嬉しい事です。![]()
この撮影後、暫くしてキハ20 520は広島運転所へ転属する事になっていたのでこれが乗り納めとなりました。
近鉄北勢線で運行されていたモニ220形223号です。
1990年7月8日に北大社駅で
撮影しました。
この日は友人と名鉄谷汲線などを巡った後、北勢線の初乗車に訪れましたが時間の都合で北大社で折り返す事になり、全線乗車は次回となりました。
元々、ナローが好きだったので北勢線にすっかりハマリ以後何度も出掛ける事に!![]()
特に戦前に製造されたモニ220形のスタイルはお気に入りでしたが2年後には引退してしまったのが残念でした。
しかし他の車両も魅力的で湘南マスクに3連接車体の200系など他線区では見る事が出来ないユニークな車両は三岐鉄道に移管されてからも健在で未だに惹きつけられる路線です。
長年、近鉄が維持管理していたお陰で軌間762mmの路線にしては設備の近代化が進んでおり、バラストも厚くコンクリートの架線柱など地上設備は結構立派なのがナローとしては異質な感じもしますが大手私鉄の基準からすれば当たり前という感覚で整備されていたのかも?
下津井電鉄なんてバラストが土に埋もれて雑草を掻き分けて進むナローらしい路線だったので対照的です。![]()
画像を見ると軌間が狭くて軌間内にATSの車上子、地上子を設ける事が困難だったせいか?軌間の外側に設置されているのが面白いですね。![]()
一時は廃線の危機となった北勢線も三岐鉄道により運行が継続され、駅の統廃合や車両の冷房化も行われ最高速度の引上げも計画されているなど鉄道として再生に挑戦している姿は素晴らしいと思います。
近鉄時代は拠点駅だった北大社も三岐鉄道に移管後は廃止されましたが車庫がある関係で現在は信号所になっており、ホームなどは完全に撤去されてしまいました。
ここの電車に乗るとあまりの小ささに顔が緩んでしまいますね。![]()
1981年4月1日に尼崎~宝塚の電化開業が行われた福知山線に投入されたカナリア色の103系です。
電化開業に向けた訓練運転が行われていた1981年3月頃に大阪駅で
撮影しました。
大都市圏にありながら長らくローカル線並の設備と運行本数で客車12往復、気動車7.5往復という状態でとても阪急宝塚線のライバルとはなりえない存在でした。![]()
大阪~宝塚の所要時間も客車42分、気動車37分という遅さでした。![]()
それが電化により新たに17往復の普通電車が増発され29分で結ぶようにまでなりました。
電化開業用として宮原電車区に103系6連×6本が新製投入され、1980年12月からは尼崎~宝塚の複線化が完了し、1981年4月1日には猪名寺駅を開業するなど通勤路線への転換を図りましたが阪急宝塚線から客を奪えるほどにはならず、せっかくの新車もガラガラで勿体無いような状態!![]()
その後、赤羽線増強用の為に中間のM M'ユニットが召し上げられて4連化されてしまいました。![]()
当時、関西では103系高運転台車は淀川電車区、森ノ宮電車区、日根野電車区に数編成配置されていましたがとても希少で格下の福知山線に新製投入されるとは驚きました。![]()
大鉄局もそれだけ力が入っていたという事かも知れませんね?
61-11改正で全廃される荷物列車を牽引するEF62 17です。
廃止前日の1986年10月31日に姫路駅で
撮影した急荷38レですがEF58・EF61を置き換えてから僅か2年7ヶ月で荷物列車が全廃という事であまり撮影機会がありませんでした。![]()
EF58の置き換えについてはD形チョッパ機新製案、EF65に電暖用インバータ搭載改造案、EF70の直流機改造案などがありましたが財政難により既存の車両を活用する事になり電暖付直流機2形式EF62・EF64の内、大量に余剰となる高崎第二機関区のEF62を下関運転所に26両を転属させ東海道・山陽筋の荷物列車牽引に充てる事になりました。
ファンの間ではゴハチを追い出す憎い釜とも言えましたがこんなに早く撤退するとは思いませんでした。
信越本線の碓氷峠越えの為に造られた特殊な機関車で勾配には強いが東海道・山陽本線での高速連続運転には不向きで過負荷状態で運転されていたので故障も多く、乗務員や検修現場では苦労されたのでは?![]()
定格速度が68km/hのEF58の代わりを39km/hのEF62が務めるのはしんどいですね~![]()
岡山と鳥取を津山~姫新~因美線経由で結んでいた急行 砂丘です。
JR西日本では比較的遅くまで急行として残っていた列車でした。
1993年頃から砂丘色と呼ばれる専用塗色への塗り替えが始まりましたが山岳路線を走る気動車に汚れの目立つ淡い色を選んだのは良くなかったのでは?![]()
手間の掛かる塗り分けの割にパッとしないのはスーパーやくも用381系にも通じるところがあり米子支社のセンスの悪さが感じられます。![]()
尾灯が片側しか点灯していませんがこれは球切れではありません!![]()
通票閉塞区間では1閉塞区間に1列車しか運転しない(続行運転不可)場合は左側のみ点灯すれば良い事になっていたので国鉄時代は姫新線などでも片側点灯が見られました。
塗色は不評だった砂丘ですがキハ58+キロハ28+キハ65の基本3連で半室ながらグリーン車が連結されていたり5往復も運転されていた事に加え、因美線の智頭~東津山では全国的に希少となっていたタブレットが使用され通過駅ではタブレットキャッチャーを使用して通票の授受を行っていた事から人気がありました。
智頭急行の開業日である1994年10月30日に智頭駅で
撮影したキハ65 80ですが塗り替えてから1年程度にもかかわらず汚れが目立っています。![]()
粟生駅に停車中の神戸電鉄1000系です。
1983年に北条線や鍛冶屋線の乗車に出掛けた際に撮ったものですが
当時の塗色は灰色をベースに窓周りを朱色にしたもので地味なカラーリングでした。![]()
一部の車両では車体の裾部分も朱色に塗られたものも登場しましたがあまり普及しないうちに現在の塗色へ変更されました。
神鉄の3000系以前に登場した形式はこの顔が基本スタイルで現在でも多数活躍していますが塗色と共に地味な印象ですね。![]()
当時は冷房率も低く当然、この1058Fも非冷房です。
粟生線の志染以西は3連しか入線出来なかったので3000系は入線出来ず冷房率0%でしたが国鉄もキハ20系・キハ35系ばかりでサービスレベルも低く、神鉄の方がよっぽど近代的で立派に見えました。![]()
粟生線は乗客の減少でかなり苦戦しており神鉄の経営を圧迫しており、このままだと減便や廃止の可能性もありうるとの事で気になります。![]()
当時は徹底的に無視しまっくった1000系シリーズですが2000系・5000系の増備により遭遇する回数が減少した事もあり、今では積極的に
撮ってます。![]()
実に地味で面白みがない電車だと思ってましたがその事が味があるように思えて来て飽きの来ない電車だと思えるようになったのかも知れません?![]()
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